●常林寺にある歴史的な石碑を見に袋井へ
袋井市の南にあるお寺「常林寺」にある浅羽佐喜太朗記念碑を見にEdisくんと一緒に車を走らせて行ってきました。
1918年(大正7年)に建てられたといわれている3mほどもある大きな石碑は袋井とベトナムを結ぶ記念碑ということを知ったのは最近。
浜松に住んでいると知らないかもしれませんが、袋井市とベトナムは強い結びつきがあるんです。
知っている人いらっしゃいますか?
この石碑はファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)というベトナムの民族主義運動の指導者が建てたものなんです。
ここからは自分の知識を整理するために書きます。
かつて日本在住時にフランスからの独立を目的に行っていた人材育成のための東遊運動(ドンズー運動)をしていたファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)。
その東遊運動は志半ばでフランスから日本政府への圧力により、解散となり、困ったファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)とベトナムの青年たちを助けたのが小田原の開業医”浅羽佐喜太朗”氏です。
浅羽佐喜太朗氏は今の金額にして1億円ともいわれるほどのお金をファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)に渡し、トンズー運動のため日本にいた青年たちが母国に帰るためや独立の資金にしたりしたそう。
日本を離れた後も中国やタイ、ベトナムで独立運動をしていたファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)は浅羽佐喜太朗氏の死を知って危険を冒して日本に密入国して現袋井市にやってきて、感謝の意を後世に残すためにも石碑を建てたということです。
石碑を建てるために必要な資金はファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)だけでなく、ファン氏の想いに賛同した当時の東浅羽村の村長や地元の人も協力したんだそうです。
※浅羽佐喜太朗氏は旧浅羽町の出身。
ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)は今でもベトナムにおいて、多くの人の尊敬を集めている歴史上の著名な人物で、そんな人物と袋井市は繋がりが強く、その関係もあって友好関係になっているんです。
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常林寺は田んぼの真ん中というか普通の静かなお寺でした。
ベトナム色が多少はでているかなぁと思っていましたが、そんなことはなく、ごく自然に浅羽佐喜太朗記念碑は立っていました。
お寺の入り口を入ってすぐ左側に石碑は堂々と立っていました。
墓地の中にありましたが、そのサイズはやはり大きい!
石碑の近くに大きめのパネルがあり、そこにファンボイチャウ氏と浅羽氏の関係やその経緯などが説明されています。
日本語、英語、ベトナム語で書かれています。
Edisくんも興味深そうに写真を何枚も撮り、袋井市とベトナムの強い絆を感じたことでしょう。
地元の歴史やこういった情報を調べたり見に行ったりするのも楽しいものです。
袋井市の南にあるお寺「常林寺」にある浅羽佐喜太朗記念碑を見にEdisくんと一緒に車を走らせて行ってきました。
1918年(大正7年)に建てられたといわれている3mほどもある大きな石碑は袋井とベトナムを結ぶ記念碑ということを知ったのは最近。
浜松に住んでいると知らないかもしれませんが、袋井市とベトナムは強い結びつきがあるんです。
知っている人いらっしゃいますか?
この石碑はファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)というベトナムの民族主義運動の指導者が建てたものなんです。
ここからは自分の知識を整理するために書きます。
かつて日本在住時にフランスからの独立を目的に行っていた人材育成のための東遊運動(ドンズー運動)をしていたファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)。
その東遊運動は志半ばでフランスから日本政府への圧力により、解散となり、困ったファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)とベトナムの青年たちを助けたのが小田原の開業医”浅羽佐喜太朗”氏です。
浅羽佐喜太朗氏は今の金額にして1億円ともいわれるほどのお金をファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)に渡し、トンズー運動のため日本にいた青年たちが母国に帰るためや独立の資金にしたりしたそう。
日本を離れた後も中国やタイ、ベトナムで独立運動をしていたファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)は浅羽佐喜太朗氏の死を知って危険を冒して日本に密入国して現袋井市にやってきて、感謝の意を後世に残すためにも石碑を建てたということです。
石碑を建てるために必要な資金はファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)だけでなく、ファン氏の想いに賛同した当時の東浅羽村の村長や地元の人も協力したんだそうです。
※浅羽佐喜太朗氏は旧浅羽町の出身。
ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)は今でもベトナムにおいて、多くの人の尊敬を集めている歴史上の著名な人物で、そんな人物と袋井市は繋がりが強く、その関係もあって友好関係になっているんです。
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常林寺は田んぼの真ん中というか普通の静かなお寺でした。
ベトナム色が多少はでているかなぁと思っていましたが、そんなことはなく、ごく自然に浅羽佐喜太朗記念碑は立っていました。
お寺の入り口を入ってすぐ左側に石碑は堂々と立っていました。
墓地の中にありましたが、そのサイズはやはり大きい!
石碑の近くに大きめのパネルがあり、そこにファンボイチャウ氏と浅羽氏の関係やその経緯などが説明されています。
日本語、英語、ベトナム語で書かれています。
Edisくんも興味深そうに写真を何枚も撮り、袋井市とベトナムの強い絆を感じたことでしょう。
地元の歴史やこういった情報を調べたり見に行ったりするのも楽しいものです。